もくじ
(202008-14) 図鑑をもって外に出よう⑳
(202005-31) 図鑑をもって外に出よう⑲
(202003-26) 図鑑をもって外に出よう⑱
(202002-09) 比企の歴史 毛呂山の流鏑馬
(201912-30) 比企の歴史 鎌倉~戦国時代④
(201911-23) 図鑑をもって外に出よう⑰
(201911-19) 図鑑をもって外に出よう⑯
(201910-28) 比企の歴史 鎌倉~戦国時代③
ちょっと、知る楽しみ 参拾二
珍しい花を見ました。
その名は「カモメヅル」紫の風車のような花です
カモメヅルの語源は不明ですが、日本だけで見られる固有種だそうです。
遺伝子的には、キョウチクトウに近いそうです。小さな花です。
(クリックすると拡大します。)
去年、丘陵地区から山田うどんに向かう坂道。坂道に沿った右手の道のガードレール沿いに、一株観察することができました。すぐに市役所による除草でほとんどがなくなってしまいました。これではと思い根を探し、鉢取りし保護しました。
今年は、鉢の中で多くの花を咲かせました。株を増やしゆすら梅公園に移植を考えています。
他にも、
注意深く観察すると、丘陵地区には意外に珍しい草花・野草を見ることが出来ます。
カラスウリ 暗くなると咲き出します。
(クリックすると拡大します。)
キンラン、ギンランはもとより秋には、ナンバンキセル、ルリマルバコウ、カラスウリの実、カシワバハグマ、ヤツシロラン、サイハイラン、それに彼岸花の群落も見ごたえあります。
今は「カラスウリの花」「ヒメジオン」などが見られます。
written by 「田木山」2020/08/14
ちょっと、知る楽しみ 参拾一
このイチイカシの根は参道に沿って10m位広がりを見せています。
古木には「神」が宿ると信じる人も多いようです。自分も信じています。許されるならば、古木の樹皮に両手をついて目を閉じて祈ることを常としています。
イチイガシの根の広がり
(クリックすると拡大します)
written by 「田木山」2020/05/30
※鳩山町ホームページ 高野倉ふれあい自然公園
http://www.town.hatoyama.saitama.jp/bunka/kanko/1447296205978.html
「高野倉ふれあい自然公園」の入口付近にある御堂山。
高野倉八十八ヵ所、八幡神社のイチイガシ(町指定天然記念物)に隣接しています。遠目には目立たない小さな山ですが、鳩山の「四季」を感じさせてくれる自然がいっぱい。
上記、鳩山町HPの掲載PDFから引用:クリックすると拡大します。
比企の歴史 「高倉八幡『イチイガシ』」に思う
鳩山町高倉地区、道から50mほど階段を登ったところに「高倉八幡宮」の社があります。小高い所から村落を守っているかのようです。その入口に「イチイガシ」の古木があります。樹齢4~600年と思われます。関東地方のカシの木はアラカシ、シロカシです。関東で「イチイガシ」は珍しい樹です。
4~600年前、何故ここに「イチイガシ」が植えられたのか? 誰が植えたのか?
(社殿)
八幡宮の総本宮は大分県の「宇佐八幡宮」です。奈良時代、東大寺の大仏建立と関わって、境内に「手向山八幡宮」を祀りました。また、平安時代には、京都に「石清水八幡宮」を、鎌倉時代には頼朝が「鶴岡八幡宮」を祀りました。それから日本各地に「八幡宮」が祀られるようになりました。
ここからは私の推理。
「八幡宮」は武家、源氏の守護神でした。武蔵の国の在地の源氏武士たちは在地に「八幡宮」を呼び寄せました。鳩山高倉の在家の武士も「高倉八幡宮」を祀りました。その時ここに「イチイガシ」を記念植栽したのでしょう。「イチイガシ」は宇佐八幡宮のご神木です。
高倉の武士の棟梁は「イチイガシ」は宇佐八幡宮のご神木であることを知っていた。または何かの理由で、例えば戦の動員で宇佐八幡宮を参詣し、ご神木「イチイガシ」を見てきた人か。
こんなことを思いながら参拝してきました。
written by 「田木山」2021/09/15
ちょっと、知る楽しみ 参拾一
高坂丘陵地区の街路樹めぐり①
高坂丘陵地区の街路樹類は多種です。樹木が見本園のように植えられています。これは他の団地には見られない特徴です。高坂丘陵地区の街路樹を紹介します。
新緑間近い時期です。自分の目で確かめてみてください。
クスノキ
丘陵入口の交番から、マミーマートから関越の橋まで植えられているのが「クスノキ」です。約100本植えられています。常緑樹です。
葉を採って揉み、香りをかいでみてください。
そうです! 懐かしい「樟脳・ショウノウ」の香りです。
戦前はクスノキを原料に南国で樟脳が製造されていたそうです。近年、常緑樹の街路樹として多用され、関東地方のいたるところに植えられてきました。
(クスノキの移植の際、根についた土の中に「クマゼミの幼虫」がおり、それが持ち込まれ関東にクマゼミが増えた理由の一つだと言われています)
秋が近づくと、小さな黄緑色の花を付けます。それが初冬には黒い実になります。
※松風公園の郵便局側からの入口に「カツラ」が何本か植えられています。
葉はハート形です。秋の落葉は、ケーキ屋さんのような甘い香りがします。
※越生には有名な「上谷の大クス」があります。
全国レベルの「巨木・古木」です。一見の価値があります。
なお、全国には「クスノキの巨木・古木」がたくさん残っています。長寿の樹なのでしょうか。
個人的には、熊本空港への道に見事なクスノキの街路樹が印象に残っています。
越生町ホームページより
「上谷の大クス(かみやつのおおくす)」 →
(クリックすると拡大します)
注:越生町ホームページ
http://www.town.ogose.saitama.jp/kankonavi/meguri/1450770458032.html
令和元年8月5日に大クスの一部が倒伏したので、現在は、ウッドデッキが封鎖されているようです。
written by 「田木山」2020/02/11
ちょっと、知る楽しみ 参拾
<毛呂山 伊波井神社 流鏑馬> 毛呂山
鎌倉・室町時代から継承されている行事。
埼玉県内で継承されているところは少なくなってしまった。比企地区には「馬場跡」が残っている神社がいくつかあるようです。 中世以来、武士が競って流鏑馬・笠懸を訓練し、神事として奉納した痕跡でしょう。
毛呂山の流鏑馬は春(今年は3月8日)と秋(11月3日)に取り行われます。
春の流鏑馬はかなり「儀式化」されているようです。 秋の馬場を勇ましく走り矢を射る流鏑馬と異なり、春のやぶさめは、7歳未満の子どもが乗り子をつとめます。 弓取、馬の口取り、笹に小袖をかざしたもの(オカイドリと呼ばれる、たぶん、幡の代わりになったのでは・・・)を持つ者や、飾り花を持つ、20人くらいの飾り付けた人々の行列が組まれます。
神主の祝詞、お祓いの後、流鏑馬は始まる。 4、5歳の幼児が正装し、馬に乗り50mくらいを3回、廻り、最後の回に、大人が幼児の後ろに乗り込み、弓を弾くことを助ける。 的までは2mくらい。 形だけの形式的なものですが、かえって「昔の神への奉納流鏑馬の形」が見られたように思えました。 このような形の奉納流鏑馬は大変珍しいものだと思います。
正装した幼児は馬上では堂々としていました。 聞いた話では、ここまでに何日かは「禊(みそぎ)の生活」を送るそうです。 支える家族、地域も大変だということです。
式の始まり お祓い
行列 弓取を先頭に
射手が的をねらいます。(写真は2018.3)
written by 「田木山」2020/01/26
(参考)
※毛呂山町 出雲伊波比神社の流鏑馬まつり
http://www.town.moroyama.saitama.jp/www/index.html
出雲伊波比神社の『春のやぶさめ』
http://www.town.moroyama.saitama.jp/www/contents/1297328351172/index.html
毛呂山町秋の流鏑馬 秋祭り
https://www.photo-saitama.jp/festival/fes-autumn/20191103.html
※日本列島 知恵プロジェクト
#11 里山が伝える流鏑馬 -埼玉県入間郡毛呂山町-
ちょっと、知る楽しみ 弐拾九
集落の入り口の「お地蔵様」 苦林・大類
地区「苦林」を歩く。
毛呂山歴史民族資料館を中心に<三つのポイント>
1 古墳がたくさんあります。古墳巡り。古墳と身近に接することが出来ます。
大きな古墳ではありませんが。出土品や解説が丁寧な毛呂山歴史民族資料館に寄り、古墳関係
資料を楽しむこともお薦めです。
2 何よりも「鎌倉街道」 新田義貞が鎌倉に攻めあがった道筋です。
氏族でまとまった人馬の群れが、兜をかぶった親方を中心に槍や旗をかついだ雑兵が走り抜け
ていく。そんな様子が思い浮かびます。1333年元弘3年初夏のころです。
嵐山・大蔵~笛吹峠・将軍沢~鳩山・今宿~毛呂山・苦林とつながります。
尊氏は次男の足利基氏を鎌倉公方として関東の支配を委ねました。
しかし、安定しない関東地方。宇都宮氏の重臣芳賀弾正は反抗し鎌倉に攻めあがりました。
足利基氏は、ここ苦林で迎え撃ち戦となりました。有名な苦林古戦場です。
全国から「太平記」ファンはこの古戦場を訪ねてきます。比企地区では、この時代に、笛吹峠
でも大きな戦がありました。
3 室町時代を経て、その後、苦林宿は
どうなったのでしょうか?
鎌倉街道に沿って「大類の宿」が残
っています。街道に面した家並み、
宿の入り口に残る「石地蔵」、
趣のある集落です。(たぶん近世に栄
えた宿でしょう。絹の道として関東
と八王子・横浜をつないでいたので
は……)
いつの時代も「苦林」は関東と相模をつなぐ重要な場所なのでしょう。比企地区の古い集落の
入口や街道の分岐、また重要なポイントには「お地蔵様」が立っておられます。
毛呂山町「大類」の入口には、両方にお地蔵様が残っています。道路改修のためか、
よく見ないとわからないが、道がクランク状になつているのも確認できます。
確かめてみてください。
いつの時代も「苦林」は関東と相模をつなぐ重要な場所なのでしょう。
比企地区の古い集落の入口や街道の分岐、また重要なポイントには
「お地蔵様」が立っておられます。
毛呂山町「大類」の入口には、両方にお地蔵様が残っています。
道路改修のためか、よく見ないとわからないが、
道がクランク状になつているのも確認できます。確かめてみてください。
written by 「田木山」2019/12/29
(参考)
中世の歴史と文化を巡る 毛呂山町
苦林野歴史散歩http://www.town.moroyama.saitama.jp/www/contents/1460188937974/index.html
鎌倉街道と中世苦林宿
http://www.town.moroyama.saitama.jp/www/contents/1460188444268/index.html
四季を・めぐりめぐりて
苦林野古戦場
https://blog.goo.ne.jp/ihcirot/e/726976a96359411a264355fe0e0c6021
毛呂の風
鎌倉街道を往く
https://breezy-moro.jimdofree.com/ホーム-毛呂山町紹介/鎌倉街道を往く/
(参考のページを探しているうちに、このページもGoogle検索に出てきました。シニア情報生活アドバイザーの「シニアサロン川越」で、資格講習会でお世話になった毛呂山の方が作られたHP。昨年、お亡くなりになっています。制作途上のページとなってしまいました。ここにLINKを載せておきたいと思います。当初は「毛呂の旋風」と題していたと記憶しています。ご冥福をお祈りいたします。by うえのじ)
ちょっと、知る楽しみ 弐拾八
丘陵ニュータウンの周りを散策すると見ることが出来ます。田木山にあります。
ツルウメモドキ
秋「ツルウメモドキ」は黄色い実が熟れると、赤い実の周りに黄色い皮が残ります。
つる性の植物です。切り花は農協などの直売所などで売られていることがあります。
クリスマスのリースによく使われます。そのために乱獲され「珍しい野草」になりつつあります。去年は、ちご沢の森(高坂丘陵3号緑地)に咲いていた木も、いつの間にか無くなってしまいました。
私たちの共通な財産、比企丘陵の自然は大切にしたいものです。
ぜひ、探してみてください。
written by 「田木山」2019/11/17
ちょっと、知る楽しみ 弐拾七
近くで見られる紅葉です。
「錦彩る山景色」のようにスケールは大きくありませんが、身の回りを、注意深く見まわすと意外な美しさに出会います。
以下は、比企丘陵(電大、田木山)の景色です。
自分だけの「秋」を探してみたらどうでしょうか。
ハゼ (東京電機大学構内)
ツタ
(東京電機大学構内)
ツタも紅葉するんですね。
アカザ (田木山)
桜 (東京電機大学構内)
イロハモミジ (高坂丘陵 栗の実公園)
エノキ (高坂丘陵 栗の実公園)
written by 「田木山」2019/11/17
ちょっと、知る楽しみ 弐拾六
<飯能 福徳寺 阿弥陀堂 大般若経会・花まつり>
今回は、比企丘陵の裏側、入間地方の鎌倉時代の文化についてです。
鎌倉・室町時代
三軒四方の阿弥陀堂。鎌倉期の典型的な阿弥陀堂です。
福徳寺は、日本にある臨済宗の仏教寺院。
阿弥陀堂は1949年2月18日に重要文化財に指定されている。
山号は楊秀山。武蔵野三十三観音霊場三十番札所。
仏像
庭
鉄製の善光寺形式の阿弥陀三体像です。50cm位。このような鉄製の阿弥陀三尊像は、嵐山の広徳寺にも残っています。
善光寺の秘仏本尊を模したものです。
境内には古桜(江戸彼岸枝垂桜)がかろうじて残っています。
ツゲの古木もあります。
東吾野虎秀地区にこのような阿弥陀堂が残ることは、鎌倉・室町期にこの地区が栄えたことを証明しています。この地点は、峠を越えて越生町と、川沿いに日高市・飯能市と、沢を登ると秩父市へつながる交通の要所でもあります。このような武蔵国の山間に、都の文化も広がっていたことも想像できます。
どのような生活をしていたのでしょうか?
また、このような阿弥陀堂を建立できる財力と文化を持てたのは、秩父氏系統の武士でしょうか?
それとも、土着の有徳人か?
浄土信仰(阿弥陀信仰)も深く根着いていたのでしょう。
大般若経会
大般若波羅蜜多経は700巻。そのうちの箱に入った310~320巻を渡されました。お坊さんが3人、檀家の人が30人と一緒に、流し読み?の体験をさせていただきました。
4/15春のご開帳日でした。約30分法話として大般若経の説明をしてくださいました。自分が生きていることを当たり前だと思わずに。よく考えれば不思議なことです。
「般若」とは「知恵」のこと。自分を律して生きることが大事であることを伝えています。
般若金剛経、般若心経は大般若波羅蜜多経をまとめたものです。
ご開帳は4/15、7/16、11/14です。一回は埼玉代表の仏教遺産を訪ねてみてはいかがですか。観光客はほとんど見られませんでした。11/14のご開帳はお薦めです。
福徳寺は、日本にある臨済宗の仏教寺院。
埼玉県飯能市大字虎秀。阿弥陀堂は1949年2月18日に重要文化財に指定されている。山号は楊秀山。武蔵野三十三観音霊場三十番札所。 ウィキペディア
飯能市虎秀にある福徳寺(大杉芳功住職)で11月14日午前10時から午後1時まで、国の重要文化財に指定されている阿弥陀堂の御開帳が行われる。
檀家が中心となって行われる行事で、見学や参加は自由。
※文化遺産オンライン
https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/145651
このようなお堂は、大分・富貴寺 福島・白水阿弥陀堂など全国に国宝として残っています。
埼玉で一番古い建物です。
国の重要文化財に指定されています。
written by 「田木山」2019/10/01
東松山市高坂丘陵地区の地域ネットワークです。地域に根ざした情報発信とコミュニティの場として運用しています。
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