知る楽しみ⑤

 

※皆様のコメント、お待ち申し上げております。ペンネームでOKですよ。


ちょっと、知る楽しみ 四十伍

図鑑をもって外に出よう 三十          2021.12-17

「紅葉とアントシアニン」

秋の紅葉が見事です。モミジやカエデは紅葉し、イチョウやケヤキやシデなどは黄色に輝きます。コナラやクヌギの紅葉せずに、茶枯れし風に舞い落ちます。椿やクスは常緑のままです。樹木によって冬への対応は様々です。

 紅葉は、葉の内部で緑色の「葉緑素=クロロフィル」が分解され、赤い色素の「アントシアニン」が生成されるからです。カエデ、ヌルデ、ツタなどです。「葉緑素=クロロフィル」がないと光合成できません。葉は枝から落ちます。

ー 森林公園 ー

 では、イチョウはなぜ紅葉しないのでしょうか。冬が近づくと、葉の中でクロロフィルが分解され「カロテノイド」という物質が葉の表面に現れるからです。葉は黄色く色づき、モミジなどの紅葉と同じ原理で葉は地面に落ちます。イチョウ、アオハダ、シデなどの木が目立ちます。

花も「紅葉?」する?

 この現象は葉だけではありません。菊の黄色や白い花が枯れる前に、大抵は赤色に変色してから枯れます。これは花びらにも「アントシアニン」が生成されるからだと言われています。

初冬の今、菊の花を観察してみてください。

written by 「田木山」2021/12/16


ちょっと、知る楽しみ 四十四

図鑑をもって外に出よう 二十⑨         2021.11-26

冬の花「茶・いちご」

田木の陽だまりの道筋に一輪の白い花「茶の花」を見つけました。たぶん昔、地元のひとが自家用の「茶」を栽培していたのでしょう。この茶の木の周りにはぎっしりとシノダケが囲み、かつての茶畑は滅び去ろうとしています。

茶はツバキの仲間。暖かい台地に育ちます。北国での栽培は難しいようです。遣唐使で中国に渡った弘法大師空海、伝教大師最澄が持ち帰った? 又は鎌倉時代に宋から帰った栄西禅師によって日本に持ち込まれと言われています。日本人がお茶を楽しむようになったのは鎌倉時代以降のこと。

茶の新芽を遮光して摘み取ってできるのが「玉露や抹茶」。初夏に摘んだ葉から煎茶が出来ます。

知人が茶の新芽を積み、蒸し、自家製の「茶づくり」を目指しました。なかなか難しいと聞きました。

 

 我が自家菜園に「いちご」が花をつけ始めました。このままでは食べられるまで成長しません。ビニールで保護・保温が必要になります。もう一つ必要なものは「蜂」。または人工授粉です。

 

冬に「いちご」を育てて食べられるようにするには大変なことなのです。この時期、イチゴ農家のハウスにはハチの巣箱が設置されています。

冬に咲く花は、寒さの中ほっとする暖かさを感じることが出来ます。

茶の花とイチゴの花です。まだ、冬に咲く花はたくさんあります。探して見てください。

written by 「田木山」2021/11/26

(参考)

※茶の花 ~秋に咲くツバキに似た白い花 

https://openmatome.net/matome/view.php?q=15078550053695 

野生の植物じゃないけど-336.チャノキ- - 身近な自然もいいね! (hatenablog.com)

https://shimisyoku.hatenablog.com/entry/2020/12/03/070000

 


ちょっと、知る楽しみ 四十参

図鑑をもって外に出よう 二十⑧         2021.11-21

野菊」とは?

地球上で大繁栄の植物「キク科」。

一つ一つの小さな花が習合して、めだった艶やかな一つの花になる(頭状花)

タンポポが代表的な「キク科」の花です。タンポポは小さな花のあつまり、その証拠にたくさんの独立した種が一つ一つ綿毛をつけ、風に飛ばされていきます。頭状花はたくさんの「めしべ」があるのです。

小さな花が集まると虫が気づきやすく受粉の確率が高まります。またできた種が風に乗って広がりやすいこと。種も乾燥に強いこと。たくさんの強みを持つのが「キク科」の花です。

 

ところで「野菊」とは・・・

「野菊の墓」など文学に取り上げられ、見ると心穏やかになるはなの一つです。

野に咲くキク科の植物が、すべて野菊とは呼ばれません。キク科の一部が野菊と呼ばれます。

「ノコンギク」「シラヤマギク」「ユウガギク」「カントウヨメナ」などが、土手や畑の畔で見ることが出来ます。白または紫の小さな可憐な花です。タンポポは野菊とはいいません。

 

おおざっぱに言うと「アスター類」「シオン類」をいいます。

我が家で栽培している野菊を紹介します。


順に ノコンギクの仲間、センボンギク、ヤマシロギク、ノジギク、カントウヨメナです。

written by 「田木山」2021/11/21


ちょっと、知る楽しみ 四拾ニ

比企の歴史⑨ 「川の県・埼玉」         2021.08-16

河川と信仰 安全・安心を求めて 

中央文化は徒歩でなく、船で比企まで来られました。網の目のように張られた水路は中央の文化を越辺川・高麗川の河岸に直接届けられました。

 

昭和になって女子高生が川越市荒川沿いに平安時代の仏像がたくさん残っていることを発表し専門家・世間を驚かせました。(参考:川越市立博物館) 

 これは平安時代の昔から京都と関東とは水路で繋がっていたことの証明です。京都から伝わった信仰・文化の足跡が川沿いに残っているわけです。

 比企地区でも同じことが見られます。代表的な例は、古凍の等覚院の阿弥陀仏です。水路を使って中央(多分京都で彫刻された仏像)から運ばれてきたものでしょう。その他、川筋に近いお寺、正代の世明寿寺の十一面観音像、石坂の休山寺観音仏などがあります。

(仏像の招来については都幾川の慈光寺との関係も見逃せません) また、平安末期から室町時代までの仏像が残されている寺は東京ではあまり見られません。

・水神

 河川の恩恵を受けるため「水神」を祀りました。干ばつや大雨、台風や洪水、生きていくために必要な「水」が、安定して流れるように願ったのです。土手沿い、沼、小川、井戸など水に関わるところに祠や石塔が建てられました。

 水運の安全にも願いをかけました。「水神」と同様な願いに「九頭竜大神、金毘羅社、住吉神社、弁財天」なども住民により祭られました。

都幾川沿いにも九頭竜様、水神などの石塔はいくつか残っています。たいていが石塔で宮社はありません。わずかなお金を出し合って住民や船頭などが建立したものでしょう。これらを拝むとき祈願した人々の思いが伝わってきます。

 

 水神を水天宮として祀るところもあります。寄居では「水天宮祭」を毎年7月に行っています。

坂戸・島田橋・土手際

  水神宮と地蔵が祭られています。

都幾川・葛袋・弁財天

 小さな用水のわきにありました。現在は用水はなし、

なお、岩殿の弁天池の中島に弁財天の祠が残っています。ここの弁財天は農耕のための雨乞いのためでしょう。


written by 「田木山」2021/08/09


ちょっと、知る楽しみ 四拾一

比企の歴史⑧ 「川の県・埼玉」         2021.08-02

河川の制御と利用 

人は、川と共に生活するために、川の恩恵を受けるために、川を支配しようと努力を重ねてきました。何よりも川に支配されないように利用しやすいように、土手を築いたり、堰を設けたり努力を重ねてきました。比企地区にも古人の努力の跡がいろいろと残っています。

・石坂の「カスミ提」

先日、TVで武田信玄が築いた甲府・笛吹川の「カスミ提(霞提)」を放送していました。優れた治水事業だとのこと。さて、比企にも「カスミ提」があるのをご存知でしょうか。

 越辺川・鳩山JA直売所付近から上流近くの「休山寺」前あたりで観察できます。土手から2本の低い土手(カスミ提)を見ることが出来ます。なお「休山寺」は武田家臣の関わりのあるお寺です。

 

越辺川の氾濫に昔の人は大変苦労したことが偲ばれます。

・宮毛田用水の事

東松山駅から坂戸駅までに都幾川、九十九川、越辺川、高麗川を渡ります。

 田木の田圃は越辺川「宮毛田用水路口」より田植えの時に取水し、稲刈り前に九十九川に排水します。排水される川を悪水路とよびます。九十九川は悪水路として利用されています 。 田木地区は今でも越辺川の恩恵を受けているのです。「宮毛田用水口」は「樋の詰橋」の下にあります。「宮毛田用水」は宮鼻・毛塚・田木の頭をつなげた名です。取水するための「堰」が橋の上から観察できます。

 「宮毛田用水」は田木の田圃を網のように分岐され流れます。いくつかの口から九十九川に排水されています。散歩のときその流れを監査してみるのも面白いと思います。

 

 埼玉では大宮・浦和・川口を開墾した見沼用水・見沼悪水が有名です。

・坂戸、高麗川橋の水争いの事 

高麗川でも同じ仕組みが見られます。高麗川沿い坂戸市立桜中学校のちかくの「大安公園」に高麗川の旧大橋が保存されています。また石碑があります。平安時代より高麗川のこの辺りに「堰」が築かれていました。今でも橋の上から堤を見ることができます。

江戸時代明和年間には大干ばつに対して水を確保するために堰を改修したことが、下流の川島町中山地区まで影響し紛争になった記録があるようです。また明治には水の流れを変えて水車に利用することでトラブルがあったようです。

なお、坂戸市立桜小学校の近くに用水取り入れ口「高田樋管」が残されています。

高麗川の水は農業だけでなく、水運などにも利用されていました。水の管理はいろいろな方面に影響があったのでしょう。高麗川が坂戸市民に恩恵を与えていたことは確かなことでしょう。

・「土手普請の絵馬」野本の土手普請の事  

 野本八幡神社に有名な「土手普請の絵馬」が奉納されています。付近の住民が総力を挙げて都幾川の治水事業を絵馬にしたものです。現堤防の外側に今でも旧土手として残ります。最近その土手に住民により桜の植樹がなされました。都幾川リバーサイド公園の反対側です。

 

 都幾川の古い土手が、稲荷橋から唐子市民活動センターへ向かう道の途中に見られます。高さも低く昔の様子を偲ぶことができます。最新の土手は南中学校から上流で途切れています。ときがわ町辺りが都幾川の土手の終わりでしょうか。

追加  「河岸」について「川の博物館」資料より

written by 「田木山」2021/08/01

(参考)

「土手普請の絵馬」  > 野本八幡神社の絵馬/東松山市ホームページ  

            (higashimatsuyama.lg.jp)

「カスミ提(霞提)  :黒部川の霞提(かすみてい) | NHK for School 

             霞堤(かすみてい) (nilim.go.jp)

 


ちょっと、知る楽しみ 四拾

比企の歴史⑦ 「川の県・埼玉」         2021.07-31

< 河岸と土場 (木材を集め筏に組むところ) 

埼玉県は「魅力のない海なし県」とよく聞きます。でも「川の県・埼玉」です。たくさんの河川が県を横切ります。じっくりと見直すと、魅力のある、楽しむことが出来る県と言えます。

「海の日」「山の日」が休日ならば、77日の「川の日」も祝日に指定してほしいものです。 

河川は山と海を結ぶ血管です。川での荷物運搬の集積地=川の駅を「河岸(かし)」と呼ばれています。

100年ぐらい前までは住むなら河川際。海の近くでなく、山の中でもなく、河川沿いが一番豊かに暮らせる土地でした。たとえ水害が起きても住民が土地を捨てての離れたとはあまり聞きません。河川沿いは肥沃な土地、流通経済、交通、そして文化の伝達、これらは生活を豊かにし住みやすい場所でした。いま話題の、渋沢栄一の「藍販売」が栄えたのは、利根川沿い。藍栽培は利根川沿いの肥沃な土地、藍販売は利根川の水利運搬があったからでしょう。決して江戸の町場では成り立たぬ商売だったのでしょう。

 

秩父や比企から江戸へ薪炭や農産物、木材などが、江戸から比企へ酒、醤油、油などの生活物質が都幾川、越辺川、高麗川を上り下りしたのでしょう。まるで主要道路だったのでしょう。

「河岸」

 写真は鳩山町今宿の「河岸」の常夜灯です。

明治9年建「今宿河岸」の文字が見られます。武蔵風土記によると、ここから木材や薪が筏(いかだ)に組まれて入間川、荒川を下ったそうです。常夜灯は夜間の船の発着があったことになります。

今宿河岸は昼夜栄えていたのでしょう。

 

「河岸」は越辺川・高麗川・入間川点々と記録に残っています。(寄居の「川の博物館」の資料)

「土場」

 鞍掛橋の上流の橋「学校橋」。その北詰めに「水神」の石碑があります。江戸時代のものです。そこにはこの辺りでの「木材・薪」の運び方の説明書きがあります。ここで筏を組んで入間川・荒川・隅田川と流し千住などの問屋まで送られていました。鞍掛橋の100m上流に堰があります。ここに木材・薪が集積され筏に組まれた場所です。「土場」と呼ばれています。木材は建築用、薪はエネルギー源です。江戸にとっては必需品、重要な供給地でした。鞍掛橋の近くに「土場」として筏を組むための堰が残っています。

 比企地区には、このように消費地「江戸」と密接にかつ身近に位置したところです。

 

また「河岸・土場」ともにそこで働く人が集落をなしていました。そこは繁栄地だったのです。 

written by 「田木山」2021/07/30

(参考)

気まぐれ写真館     :都幾川のページ一覧  (sakura.ne.jp)

          > 都幾川 - 鞍掛橋の周辺 (sakura.ne.jp)


ちょっと、知る楽しみ 参拾九

図鑑をもって外に出よう 二十⑦         2021.07-23

 カラスウリ」の花

「コビット-19 」で「新しい生活」を強いられるこの機会に、ニュータウンを中心に「歴史・文化・自然」を探求してみませんか。

 丘陵地区の周りにも「カラスウリの花」が咲き始めています。

(画像は、昨年、撮影したものです)

 夕方から煙のような独特の花を付けます。特別な蛾をおびき寄せます。

明け方、蛾が飛ばない時間になると花は萎みます。

一日花です。探して見てください。

written by 「田木山」2021/07/23

(参考)

※🍀GreenSnap(グリーンスナップ):

 カラスウリ(烏瓜)の花言葉|花の不思議な特徴や種類は?


ちょっと、知る楽しみ 参拾八

図鑑をもって外に出よう ㉖           2021.07-05

 珍しい樹木「ケンポナシ

 「コビット-19 」で「新しい生活」を強いられるこの機会に、高坂丘陵を中心に「歴史・文化・自然」を探求してみませんか。

 先日、ときがわ町の都幾川四季彩館に行きました。その駐車場に数年前より気になっていた樹木がありました。

自分は「シナノキ」か「菩提樹」ではないかと予想していました。葉の形などから確信が持てないでいました。今回、近くの高齢者にその木のことを聞くことが出来ました。

要旨は以下のようです。

・この地区で15代目の農家であること。

 その人は80歳台?の方。

・この人のおじいさんから、この樹の事を聞いていること。おじいさんは「テンポンナシ」と呼んでいたこと。

・この樹の種をお姫様が「お手玉」に使って

 いたこと。

 ケンポナシの花と実と葉


・他に使い道が少なかったのか「お前は『テンポンナシ』のようになるな」と言われたこと。

その場で「テンポンナシ」を検索したがヒットせず。地方独自の呼び名かとその場を終えた。 

 

 帰宅し、落ち着いて調べると「テンポナシ」、「ケンポナシ」でヒット。ネット上の写真を見ながら納得しました。

 ときがわ町は自然が豊かな地区です。比企丘陵の特徴がよく残ります。町は「巨樹の町」としてパンフレットなどでアピールしています。

 直売所などでは山菜なども出ます。心が安らぐ地区です。

written by 「田木山」2021/07/04

(参考)


ちょっと、知る楽しみ 参拾七

比企の歴史⑥ 阿弥陀信仰…熊谷安楽寺      2021.05-24

< 熊谷市安楽寺の九品仏ご開帳 > 

 先日、熊谷市「安楽寺の九品仏ご開帳」に行ってきました。九体の阿弥陀如来像が御座されている形を九品仏と呼びます。東京世田谷の浄真寺や京都の浄瑠璃寺などにも九品仏が伝えられています。

安楽寺の九品仏は江戸期の造仏ですが、2m余りの姿が九体揃い見ごたえがありました。 

 ご住職のご挨拶ののち、市の学芸員の説明があり、その後、仏まで近づくことが許可され、仏前で手を合わせることが出来ました。特別な機会でもあり、また個人的に阿弥陀・観音巡りを楽しみにしている自分にとって感動的でした。

本堂の内陣


  また、江戸期の生活の中で、地域の人々が、このような造仏事業を成し遂げたエネルギーにも深く感動しました。造仏事業には多くの困難があったことでしょう。それを乗り越えた地域のまとまりの強さを感じました。 

 もう一つの感動は当時の人々の「極楽浄土」への願いの深さです。鎌倉時代に盛んになった「浄土信仰」が累々と江戸時代まで続いたのでしょう。これは日本人の生き方の根底をなしていたことでしょう。日本人を再考するときに重要なポイントになるでしょう。

 現代、身近に拝することが出来る仏像の多くが、阿弥陀仏・観音仏・地蔵仏です。みな「極楽浄土」に関わる仏さまです。阿弥陀様・観音様は死後極楽浄土へ導いてくれます。地蔵尊は地獄へ送られた人を極楽へ救ってくれる仏様です。鎌倉期より日本中でこれらの信仰が身近なものになり、盛んになったのです。人々は極楽浄土を目指し心血を注いだのです。これは現代の人には理解できない価値観・人生観を持っていたのでしょう。坂東札所・秩父札所めぐりなど、現代人の多くが観光気分を楽しんでいます。日本人の先祖様はまったく違う目的をもって巡礼したのでしょう。 

written by 「田木山」2021/05/23

(参考)


ちょっと、知る楽しみ 参拾六

図鑑をもって外に出よう ㉕           2021.05-05

 壊れつつある「身近の自然

 ここ丘陵地区は関東平野の西隅。秩父への入口です。秩父の山で観察できる草花が辛うじてこの線まで残っている。「豊かな自然」はこの地区から始まるとも言えないでしょうか。

 しかし、丘陵の周りでは様々な動植物が消えようとしています。丘陵団地が出来たころには、「ホタル」が、また「キキョウ」が普通にみられました。今は無理なことになりました。

 山中の陽の当たる草地に見られる「フデリンドウ」です。

電大のグラウンドの周りに毎年、連休のころ咲きます。10年位前は足の踏み場もないくらい咲きましたが、今年は20~30株くらいになってしまいました。

フデリンドウ               


 また、橙色の花「ヤマツツジ」も減りつつあるようです。大切にしたいものです。

ヤマツツジ              


 近年、丘陵団地の周りで「減ってきた珍しい動植物」を思いつくままに。

・源氏ホタル。 動物園に生存。夏に夜間観察会が開かれます。

 唐子や大岡などにも源氏ボタルはいます。     

・オオタカ。 運が良いと見られるようになりました。

・大東文化大学構内  サイハイラン、クロヤツシロラン、山菜の王様アブラメ

・唐子地区  キクザキイチゲ、イチリンソウ、ニリンソウ、アマナ、カタクリ、

 まだまだあるようです。 

written by 「田木山」2021/05/03


ちょっと、知る楽しみ 参拾五

図鑑をもって外に出よう ㉔           2021.04-29

 この写真の花を見たことがありますか?

 またその「花の名前」を知っていますか?

 

 植物園や、花屋さんなどで「花大根」、「紫ハナナ」、「ショカツサイ」などの名がつけられています。これらの呼び名でも正解です。紫色のきれいで目につく花です。

丘陵の周りでもよく見ることが出来ます。

 しかし、本当の名前は「オオアラセイトウ」と言い、

中国原産の菜花です。アブラナ科(十字花科)の植物です。江戸時代に日本に入ってきたと言われています。 

(クリックすると拡大します)


「黄色い菜の花」「白い花は大根の花」「オオアラセイトウの紫花」。これらはみんなアブラナ科の花。みな食用植物です。試しに食べ比べて感想をおしらせください。

written by 「田木山」2021/04/29

(参考)

春を彩る「平和の花」。オオアラセイトウのやさしい紫が語りかけるものは…

https://tenki.jp/suppl/kous4/2020/03/17/29738.html

ムラサキハナナ(オオアラセイトウ)の育て方|植物図鑑

https://lovegreen.net/library/flower/p126266/

オオアラセイトウ 美の山公園の花々(春)

https://www.pref.saitama.lg.jp/b0504/haru-ooaraseitou.html


ちょっと、知る楽しみ 参拾五

図鑑をもって外に出よう ㉓           2021.04-20

身近な外来植物

ユゥゲショウなどの観察

 

 この機会に、ニュータウンを中心に「歴史・文化・自然」を一緒に探求してみませんか。 

今回は、自然豊かな比企丘陵の、自然生態を変えようとしている外来植物について、観察してみましょう。

対策を取らずに放置しておくと、すぐに、私たちの周りの風景が変わってしまうでしょう。      オオキンケイギク (2020/06/01 撮影)                              

 

 以下は身近に観察できる外来種です。

    オオキンケイギク :この種は緊急対策外来種または特定外来種です。

             都幾川の奥まで進出しています。この花は国内に広がりやすく 

             日本固有種を駆逐してしまう危険がかります。

    ユウゲショウ   :小さな可憐な花です。庭で育てている人もいます。

    ブタナ      タンポポに似た花です。最近めだちます。  

 

    ナガミヒナゲシ  :種の部分が長いのがわかりますか?道路沿いによく咲いています。

オオキンケイギク

ブタナ

ユウゲショウ

ナガミヒナゲシ


written by 「田木山」2021/04/20

(参考)

 日本の外来種対策(環境省:自然環境局)

 https://www.env.go.jp/nature/intro/index.html

 パンフレット/リーフレット 外来種、なにがダメ? (2020/03)

 : https://www.env.go.jp/nature/intro/4document/poster.html

  > gairaisyu_yobou.pdf (env.go.jp)

 

高坂丘陵ねっと「オオキンケイギク防除」  (2016/05/22)

 https://www.qryo.net/shibuosirase007.html

彩茶話ねっと 「オオキンケイギクについて」(2016/05/21)

 

 

 オオキンケイギクについて - 彩茶話ねっと 


ちょっと、知る楽しみ 参拾四

図鑑をもって外に出よう ㉒           2021.04-17

新芽、新葉は

なぜ()色なのか

「山が笑う」季節です。

新緑が若々しく、生き生きと広がります。これを見ると自然と気持ちが安らぎます。しかし、新緑は一色ではありません。よく見ると樹種によって緑の濃さに差があったり、中には茶色をにじませた木々も見られます。

 ベニカナメの新葉は赤()です。クスノキの新葉も茶色です。なぜでしょうか。


 調べてみると、若い葉に強い紫外線が当たると、葉緑体が害を受けてしまいます。その防止のために新葉にアントシアニン(色素)が作られます。アントシアニンが紫外線から新葉から身を守り成長を保護します。とのこと。日本植物生理学会「みんなの広場」より

 ※みんなのひろば | 日本植物生理学会 (jspp.org) 

  https://jspp.org/hiroba/index.html

 

新葉だけでなく、ほとんどの樹木の新芽が茶色いのも同じ理由でしょうか?

 

 ここから私の推理。

新芽、新葉は柔らかく栄養満点の食物。新芽・新葉が緑でなく暗い色を示すのは、鳥や獣、昆虫などに見つけられないような工夫、自己防護。

 または暗い色は太陽の熱を多く受け、温度を上昇させます。温度の上昇は新芽、新葉の成長を早めます。こんな理由もあるかもしれません。 

 

 

 しかし、すべての新葉が暗い色になるわけではありません。最初から鮮やかな緑の葉を出す樹木もたくさんあります。

この差はどのような理由なのでしょうか? 知っている人は教えてください。

written by 「田木山」2021/04/17


ちょっと、知る楽しみ 参拾三

図鑑をもって外に出よう ㉑           2021.04-08

ウワミズザクラ

(上溝桜

別名:コンゴウザクラ、ハハカの木波波迦

 

岐阜県根尾谷の古木「ウスズミザクラ」(淡墨桜)とは違います。

(クリックすると拡大します。) 


 比企地区の山際によく見ることができます。主に湿気の多い斜面に多く見られます。桜とはいえ「ウワミズザクラ」は、桜とは似ても似つかぬ、15cm位の白いブラシ状の花をつけます。

「ウワミズザクラ」は、亀甲占いの時に火を起こす・亀甲を焼くために使われたと言われています。古代の人にとって神聖な木だったのですね。材が堅い性質のため古代から利用されていたのでしょう。先年の大嘗祭にもつかわれたそうです。

 この「ウワミズザクラ」が、ゆすら梅公園と桜山小の間の小道に見ることが出来ます。

今、観察にもってこいの時期です。

 

 何本もの「ウワミズザクラ」がたくさんの黄色や赤い実をつけています。この実は食べられます。今でも越後の一部で食されているとのこと。また熊の大好物だと言われています。

 なぜ「さくら」とよばれるようになったのでしょうか

秋田に「樺細工」と呼ばれる桜やシラカバの樹皮をの細工工芸があります。昔からの技術で茶筒などの日用品が作られました。ウスミズザクラの樹皮も桜の樹皮ににているため、桜と同等の利用がされたようです。古人は「花」で樹木を区分せずに、利用価値で樹木に命名したのでしょう。花を愛でるのは生活に余裕のある現代人でしょうか。

written by 「田木山」2021/04/08

 

ハハカ(波波迦)の木というのは “ウワミズサクラ(上溝桜)” の古名で 神話で占いに使われた非常に堅い材でもあり、“波波”や“上溝”のイメージの様に 木の表面がデコボコになっているのが特徴的です。